
予言ブーム、SNS拡散、そして7月3日の現実
◆ 2025年7月、日本が沈む?という予言が話題に
最近、やたらと耳にしませんか?
「2025年7月、日本に未曾有の大災害が起きる」とか、「東日本大震災以上の津波が来る」とか。
この話、完全なデマと思いきや、出どころはなんと商業出版された本。
漫画家・たつき諒さんが2021年に出した『私が見た未来 完全版』という作品に、
「2025年7月5日に、日本とフィリピンの間の海底が破裂し、大津波が襲う」
とハッキリ書かれていたらしく、それがSNSやメディアを通じてじわじわと拡散。
気づけば、海外(特に香港・台湾)では旅行のキャンセルが相次ぐ事態にまで発展。
気象庁長官も「科学的根拠はありません」と否定するほどには、話が大きくなってるわけです。
◆ 予言って、昔からあったよねという話
思い返すと、僕らの世代だとノストラダムスの大予言がありました。
1999年7月、恐怖の大王が降ってくる──
結局、何も起きなかったけど、あの当時の“世紀末ブーム”ってすごかった。
TVでも漫画でもやたらこの話題ばっかりで。
その前には、大正~昭和にかけて活動していた出口王仁三郎という宗教家が、「大地震を予言していた」とも言われてますし、近年ではチェーンメールで「明日大地震来るぞ」とか、LINEで「知り合いの自衛官が言ってた」みたいなのもありました。
……つまり、予言って定期的に流行るんです。
しかも、こういうのが流れるたびに、
- コンビニの水が品薄になったり
- 防災グッズがAmazonで売り切れたり
- キャンセル料払ってでも旅行やめる人が出たり
といったように、ちゃんと社会に影響してるのがすごいところ。
◆ 身内にも信じてる人がいて、ちょっとびっくりした話
僕も最初は、正直「またその手のやつね」くらいの温度感でした。
でもある日、久しぶりに会った高齢の親戚から、
「7月、地震が来るらしいよ。気をつけてね」
って、ものすごく真面目に言われたんですよ。
……うん、マジか。
ネットに疎い世代にも伝わってる時点で、「これは結構深刻だな」と思いました。
信じる信じないじゃなくて、「人を不安にさせてしまっている」という事実に、ちょっと考えさせられたんです。
◆ 実際に7月3日、地震はあった──けど…
そして迎えた2025年7月。
なんと、7月3日にトカラ列島近海で震度3の地震が発生。
これを見て、「予言当たってるじゃん」と反応する人もいました。
……が、ちょっと待って?
震度3って、スマホの通知で「地震です」って言われたら、逆に身構えすぎて恥ずかしいレベルじゃないですか。
津波の心配もなし。被害もなし。
要するに、「日本では珍しくもなんともない、日常の一コマ」です。
それを“予言の証拠”としてしまうのは、こじつけにもほどがあるって話。
◆ 科学は予言にどう向き合っているのか
地震の予知について、気象庁ははっきりとこう言っています。
「いつ、どこで、どのくらいの規模の地震が発生するかを、事前に正確に予測することはできません。」
プレートの動きや震源分布を使って「今後30年以内に起きる確率」を出すことはできますが、
「7月5日に起きる」と断言できるレベルの技術は、現代の科学には存在しません。
にもかかわらず、SNSでは「たつき諒の予言が当たる!」と盛り上がっていて、科学と感情のギャップにモヤモヤしてる人も多いはず。
◆ それでも“予言”が信じられる理由
人って、「見えない未来」に不安を感じる生き物なんですよね。
そして、その不安を“誰かが先に見てくれている”と思うと、安心する。
たとえそれが根拠のない話でも、
- 「備えになるなら…」
- 「本当だったら困るし…」
っていう思考で信じたくなってしまう。
だからこそ、予言って強いんです。
でも、強さと正しさは別の話。
◆ 【まとめ】予言と向き合うには、疑う力が必要
2025年7月5日は、この記事を書いている今もまだ“未来”です。
だから、この記事の結論はこうなります。
- 本当に大災害が起きる可能性?ゼロとは言いません。でも今の時点でそれを断言する根拠はありません。
- 科学的には、日時を特定した地震予知はできません。
- 予言は信じるものではなく、“情報として吟味するもの”です。
僕自身、家族もいるし、備えはします。
でもそれは“予言にビビったから”じゃなくて、日常の備えの一環としてです。
最後にもうひとつ。
「予言が当たるかどうか」よりも、
不安に飲み込まれない力の方が、よっぽど未来を守ると思うんです。
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